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ようこそ麻来雅人のブログへ! SM秘小説webと緊縛に関する想いを綴ります。

SM秘小説web
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麻来雅人

Author:麻来雅人
まらいまさと:57歳
職業縄師として約25年以上、長いんだか短いんだか…。
11年4月より、オンラインマガジンSM秘小説webの運営責任者に就任しました。こちらでは昭和の緊縛エロスと近況活動をお伝えします。

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SMセレクトからSMファンへ
Category: SMの生い立ち  
SM小説デビューを果たした昭和53年は、ピンクレディーの「UFO」、矢沢永吉の「時間よ止まれ」が大ヒットした年です。キャンディーズが後楽園球場で引退コンサートを行い、宮城県沖地震が起こり、「口裂け女」が流行しました。そしてサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で衝撃的なデビューを果たした年でもありました。

当時SMセレクトは仙田氏が編集長、通称ネコさん(後に仙田氏の奥さんになられる)が編集員をしていらっしゃいました。初掲載された直後、女子高生のM女千鶴同伴で水道橋の編集部を訪ねたのですが、ネコさんは、執筆者が女子高生相手にSMプレイをしている大学生ということに驚かれていました。しかしそれ以上に同伴した千鶴にいたく興味を示し、彼女に根掘り葉掘りプレイの内容やSM観を尋ねていたのが印象に残っています。

当時、官能小説においては、女性の一人称形式である「あたし~なんです」でエロを綴る宇能鴻一郎先生が一世を風靡してました。僕はその文体を模して、SM小説を書いていました。責められる女性の観点から描くSM小説は極めて珍しかったのが、採用された要因だったのでしょう。読み返してみると、よくぞこんな駄文が採用されたと恥ずかしくなります。
手元に残る資料では以下の作品を「加悦澄夫」名で、SMセレクトに執筆していました。

・淫らな復習(SMセレクト78年6月号)
・堕天使候補生(小説SMセレクト78年12月号)
・堕天使の凄春(小説SMセレクト79年6月号)
・奈美の赤い滴(小説SMセレクト79年10月号)
・幼心芽生え(小説SMセレクト79年12月号)
・みず色淫花(SMセレクト80年3月号)
・みず色の淫花(SMセレクト80年4月号)
・花散る私刑(小説SMセレクト80年6月号)

大学生だったので、その原稿料は並みのバイトを遥かに凌ぐ大金でした。
ところがある日、原稿をうっかりと他社に送付すると云う大ポカをしてしまいます。
間違えて送った先は、司書房の「SMファン」編集部でした。
千鶴に送付を託したのですが、彼女はSMセレクトとSMファンを混同していたのです。
SMファンの編集部から連絡があるまで、そのミスには気がつきませんでした。
当然、ミスをした千鶴にはきついお仕置きをしました。

すぐさま司書房の編集員の松本氏とお会いしました。
当時のSMファンの編集長は浅田氏で、松本氏は生粋のSMマニアとして敏腕を振るっていました。
原稿はSMファンで掲載されることになり、以後レギュラーでSMファンで執筆することになりました。
この浅田・松本両氏との出会いが、その後の運命を決定づけるのでした。

SMファン夏季号表紙 SMファン誌面
※SMセレクト掲載の処女作を改稿し続話も含めて掲載した昭和56年刊「小説SMファン夏季号」


SMの道を歩み始めた日
Category: SMの生い立ち  
SMセレクト表示
SMセレクト昭和53年6月号

昭和53年、当時建築学科の大学生だった僕は、女子高生の彼女とささやかなSMプレイをしていました。
軽い縛りと言葉嬲り、下着を奪い、制服だけで帰宅させる…。初心者同士が手探りで調教プレイを楽しんでいたのです。
M性を秘めた彼女に触発され、サディストを自覚し始めた頃です。
二人目の彼女でしたが、早くもノーマルなセックスでは飽き足らず変態の道を歩み始めていたわけでした。

そんな折、授業中にスケッチブックに殴り書きしたエロ小説を友人が披露してくれました。クスクス笑いながら回覧していたのです。
素人目にもひどい内容でした。負けん気が強かった僕は、もっと面白いものが書けると発起し、原稿用紙にSM小説を描きました。
授業中に回覧させると大好評を博しました。

せっかく描いた小説だからと、試みに東京三世社のSMセレクトに投稿しました。
翌月の末、古びた本屋を覗き、SMセレクトを開いてみると、団鬼六先生の「鬼ゆり峠」の次に僕の小説が掲載されていたのです。
腰を抜かすほど驚きました。震える手で千円札を出してお釣りを受け取ると、走るように自宅に帰りました。
「加悦澄夫」というペンネームで「淫らな復習」とタイトルが付けられ、立花貴彦画伯の挿絵に飾られて33Pに渡って紹介されていたのです。
(ちなみに表紙では「復讐」と表記され、目次と本文では「復習」と表記されています)

SMselectHonmon.jpg

この小説から本格的なSMの道を歩み始めました。
もしも友人が自作エロ小説を回覧させていなければ、僕も決してSM小説を描かなかったでしょう。
そして縄師にもならず、違う道を歩んでいたと思います。