SMセレクト昭和53年6月号昭和53年、当時建築学科の大学生だった僕は、女子高生の彼女とささやかなSMプレイをしていました。
軽い縛りと言葉嬲り、下着を奪い、制服だけで帰宅させる…。初心者同士が手探りで調教プレイを楽しんでいたのです。
M性を秘めた彼女に触発され、サディストを自覚し始めた頃です。
二人目の彼女でしたが、早くもノーマルなセックスでは飽き足らず変態の道を歩み始めていたわけでした。
そんな折、授業中にスケッチブックに殴り書きしたエロ小説を友人が披露してくれました。クスクス笑いながら回覧していたのです。
素人目にもひどい内容でした。負けん気が強かった僕は、もっと面白いものが書けると発起し、原稿用紙にSM小説を描きました。
授業中に回覧させると大好評を博しました。
せっかく描いた小説だからと、試みに東京三世社のSMセレクトに投稿しました。
翌月の末、古びた本屋を覗き、SMセレクトを開いてみると、団鬼六先生の「鬼ゆり峠」の次に僕の小説が掲載されていたのです。
腰を抜かすほど驚きました。震える手で千円札を出してお釣りを受け取ると、走るように自宅に帰りました。
「加悦澄夫」というペンネームで「淫らな復習」とタイトルが付けられ、立花貴彦画伯の挿絵に飾られて33Pに渡って紹介されていたのです。
(ちなみに表紙では「復讐」と表記され、目次と本文では「復習」と表記されています)
この小説から本格的なSMの道を歩み始めました。
もしも友人が自作エロ小説を回覧させていなければ、僕も決してSM小説を描かなかったでしょう。
そして縄師にもならず、違う道を歩んでいたと思います。