昭和59年8月号のSMマニアに掲載された原稿です。
「阿佐ヶ谷舞子」は、氏名不詳だったので便宜的に付けた仮名です。
終始猿轡をしているので、顔立ちは確認できません。大きめの乳房と肉付きの良い太腿と尻が官能的なモデルです。
なぜでしょう。この頃の画像には、情念が宿っている気がします。
カメラを握るものが老齢に達すると、同じポーズの画像であっても乾いた印象を受けてしまいます。
スタッフらの貪欲さが、この頃の画像には込められています。
撮影場所は、阿佐ヶ谷にあったバレエスタジオ「アルスノーヴァ」です。
2008年に惜しまれつつ閉鎖された「スタジオ・アルスノーヴァ」に併設された50畳以上の広さの踊りの練習場で、壁には手すりが設けられ、片面の壁は巨大な鏡になっていました。
ふだんはトウシューズを履いた女性たちが、この手すりにつかまりながら、バレエの練習に励む場所を借り受けて、SMの撮影をしていたのです。
前衛芸術や踊りに深い理解を示すオーナーの好意なくしては、このような変態撮影に使うことはできなかったでしょう。
踊りの練習で使い込まれた床はすり減り、あちこちに生木の肌が露出していました。広いばかりで、壁は色気もなく、必然的に写し込めるのは床だけでした。二階吹き抜けの天井では、吊りのためのポールを立てられません。大きめの脚立を二つ用意し、それに梁代わりのポールを渡して、縄尻を飛ばすのが関の山で、決して使い勝手は良くありませんでした。
「熱海旅館」や「百花苑」などしかなかった当時には、それでも貴重なスタジオでした。
ただ面白かったのが、全裸にして縛りあげたモデルを撮影していると、ふだん練習に通う女性たちが訪れる事でした。
入り口から入ってきた女の子は縛られたモデルに驚きつつ、脇の階段を登って、着替え室や事務室のある二階に消えていくのでした。練習用のスタジオがこんな淫蕩な撮影に使われていると知り、どんな感慨を受けたのか、是非尋ねてみたいものでした。
縛りのせいなのか、
シチュエーションのせいなのか、
はたまた、この見事な尻のせいなのか…
古きよきSMというか、
私が貪るように見ていた頃を思い出しました。