SM秘小説平成2年10月号に掲載されました。
杉浦則夫カメラマンのマンションスタジオで撮影されました。スタジオと言っても壁に暗幕を垂らしただけの12畳ほどの広さで、そこに撮影用小道具レンタル会社から学校机などを借りて学校の物置風の背景に仕立て上げています。
今では様々な用途のスタジオが林立していますが、この頃はまだ少なく、あっても高価だったり、一般住宅だったりしたため、カメラマン所有のスタジオは安価で便利な存在でした。
昭和50年代は、料亭の廃墟「百花苑」や休業中の旅館「熱海旅館」などが梁や柱の使える撮影スタジオとして重宝していました。しかし、いつのまにかなくなって行きました。いずれこれらのスタジオを使った原稿も紹介できるでしょう。
また今では驚くばかりですが、昭和の末期頃までSMの撮影にはメイクがいませんでした。単体の撮影ですら昭和50年代後半に入るまでは、モデルの自前メイクが主流だったくらいです。
この撮影では女性メイクが登用されました。女性メイクが緊縛の撮影をどう捉えるかとか、モデルは女性が居合わせるのを嫌うのではとか心配しましたが、杞憂でした。むしろモデルに取っては、敵(笑)ばかりの中で唯一の味方としてメイクを捉える傾向があり、ガス抜き的な役割を果たしてくれるのでした。ただ、この撮影で登用されたメイクがあまり上手でないのは否めません。メイクの実力次第でモデルの美しさは随分変わるものです。
彼女は身体が固かったのでしょう。前半は後手縛りを施していますが、後半は前手縛りになっています。あまり無理なポーズを取っていないのも身体の固さが起因していると思われます。ただ腰を突き出すことに関しては柔らかいようです。少女のような肢体に救われた撮影なのかも知れません。
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