当時旺盛だった自動販売機によるエロ本販売、通称ビニ本を席巻した千葉美子の登場です。名称が統一されていなかった当時、千葉美子・唐沢良美・田辺良美・市川良子・岬奈美といった名前でSMグラビア・ビデオに多数出演していたようです。本人が自称していたモデル名が千葉美子です。アートビデオの「SM性乱学園 蜜肉の罠」(83年)にも登場していたので、ご覧になった方も多いかもしれません。
ちなみにアートビデオで不肖麻来雅人が登場するのは、
淫らな悪魔
陰獣
狂い泣く肉奴隷
の三本のようです。マンボウ資料館の画撮で若かりし自分を確認しました。
さらにもしかしたら「餓狼の罠」も可能性があります。なんとなく僕っぽいです。
この千葉美子の撮影は、縄師は濡木痴夢男先生。カメラは杉浦則夫氏、カメラアシストが橋本成喜氏です。編集は僕ともうひとり。上野で捨てカットを撮影し、どうやら百花苑で撮影したようです。床にゴザを敷き詰めているのは、畳が剥がされ、下板張りの床では都合が悪かったからでしょう。真夏の撮影ですが、締め切った廃屋の中はエアコンがあるわけもなく、埃っぽく熱気がこもっていました。登場する僕の額には汗が流れています。
この日の撮影で僕は彼女と初対面でしたが、他のスタッフは既に三世社で撮影を共にしていました。彼女はスタジオに入るなりカメラアシスタントの橋本成喜氏に「あのこと内緒にしておいてね、絶対言っちゃ駄目よ」と念を押していました。濡木先生や杉浦氏も笑いながら頷き、ちらちらと僕を見ていたので、当惑したのを覚えています。
編集であった僕は、その日絡み役をやりました。全裸での絡みです。本番があるわけではなく、ポーズだけです(あいにくその原稿は「SM性愛術で使用されるために外されていました)。その撮影が終わった直後、畳に寝る彼女の縄を裸のまま解こうとすると、彼女は縛られた身体を滑らすようにして僕に寄って来ました。何をしたいんだろうと思って眺めていると、彼女は屈んだ僕の脚の間に身体を進めて来ました。スタッフは「始まったぞ」と笑いながら成り行きを見守っています。
愕然として眺めていると、玉袋を口に含みさらに股の間に潜り込むとアヌスまで舐めてきました。これには驚きました。予期していなかった快感に呻きましたが、彼女はそのまま股の下を通り抜けて背後に抜けました。後手縛りの身体を器用に動かし、股の間をくぐり抜けて行った訳です。狼狽える僕の様子にスタッフは腹を抱えて笑っていました。どうやら彼女の悪戯は有名であったようです。このようなボーナスが休憩時間にあるなど誰が予想できるでしょうか? さらに濡木先生の台詞が驚きを誘いました。
「さすが人妻、テクニックが違うな!」
当時10代だった千葉美子の衝撃的な秘密が、人妻であった事です。17~18歳で結婚し、夫に隠れてフリーのモデルをしていました。しかし人妻っぽいところなど微塵もなく、サーフィンを楽しみ褐色の健康美を誇る普通の10代の女性でした。性格は奔放でまさに自由を謳歌するエネルギッシュな「ギャル」です。彼女がSMばかりを選んで仕事をしていたのは、特にSMが好きという訳ではなく、知人バレがしにくいからだったのでしょう。
挑発されてモンモンとした気分で撮影を行いましたが、当然のごとくその後何も起こりませんでした。
バンドアライトの固い照明で闇から切り出された緊縛姿は、まさに貴重な画像です。
昭和58年の夏頃に撮影された原稿で、46点が現存していました。
撮影で絡んでいたのは、麻来さんだったのですね。羨ましい限りです。このアップされている撮影の後の「八月の濡れた砂」とういうグラビアで、麻来さんが絡んで、海岸・海中で撮影されていたと思います。是非、この写真も発掘されることを期待いたします。彼女のグラビアは比較的厳しい縛りとシチュエーションが多かったように思います。掲載される度に、興奮と感激を覚えていました。彼女のワンメイクでの写真集の出版を期待していました(笑)。バックナンバーDVDの発売が楽しみです。彼女をはじめ、あの頃のモデルさんは、今、どんな熟女になっているのでしょうか・・?