確かに僕が縛っているのですが、まったく記憶にありません。撮影期日は90年の5月。春ですが、さぞやモデルは寒い思いをしたんだろうなと思います。撮影のほとんどは都内で行われますが、時折郊外へと遠征します。この原稿の舞台ヤッホー山荘は名前の通り山奥にありました。今はもう失われているでしょう。
単体などの撮影と比べて、SMの撮影にはカメラ目線があまりありません。目を逸らし弱々しく振る舞う心情を描くためです。目線がカメラに来ると、どうしても挑戦的になります。縛られているのだから恥じて目を伏せる、従僕を示すための記号です。緊縛撮影の様式美ともいえるでしょう。
哀訴の目線というものもありますが、その感情を表情に滲ませて撮るというのは、杉浦カメラマンはあまり得意とはしていませんでした。むしろ人形のように扱うのを好んでいました。顔の角度を数度単位で指定して、好みのポーズに固めて撮ります。緻密な構図を意識すると、必然的にライブ感は失せてしまいます。
これは使用する機材にも現れています。35mmフィルムだと、普通の単体撮影の場合およそ40本ほど消費し、都合1400カットほど撮影しました。しかしSM撮影、杉浦カメラマンの場合は、ブローニーサイズの6×7cmのカメラを使用していましたので、1ロールで12枚しか撮影できず、必然的に決め撃ちと呼ばれる撮影になっていました。上がりの原稿も6~10本程度です。多くても120カット程度ということです。機関銃のように乱射しその中から優れたカットを選ぶのか、狙撃銃のように一発で決めるのかの差異とも言えるでしょう。
この原稿は、正直なところ縄がうまくありません。駆け出し縄師の甘さがあります。その点ご容赦ください。