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ようこそ麻来雅人のブログへ! SM秘小説webと緊縛に関する想いを綴ります。

SM秘小説web
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麻来雅人

Author:麻来雅人
まらいまさと:57歳
職業縄師として約25年以上、長いんだか短いんだか…。
11年4月より、オンラインマガジンSM秘小説webの運営責任者に就任しました。こちらでは昭和の緊縛エロスと近況活動をお伝えします。

御用のある方は以下より、☆を@にしてメールしてください。
info☆dualmoon.jp

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新人縄師誕生
Category: SMの生い立ち  
gotesibari01.jpg
三和出版刊「上級者のための緊縛術」より。縛りの様子。

杉浦カメラマンのアシスタントを長年務めた橋本成喜氏が独立しカメラマンとして活躍し始めたのは、
アップル通信という一般向けエロ本が軌道に乗った頃です。
彼の独立後、濡木先生の推薦で杉浦カメラマンのアシスタントになったのが、不二秋夫氏です。
全体に目配せしながら軽いフットワークで機敏に動く彼はライトの配置こそ橋本成喜氏に及ばないものの、素晴らしいアシストぶりを発揮しましたが、一年にも満たず杉浦則夫カメラマンの元を去ります。

その前後に、緊縛美研究会から不二企画が立ち上がったと思います。
濡木先生を中核とし、不二秋夫カメラマンと、モデルとして幾度もお世話になった縛りに造詣の深い春原悠理嬢が屋台骨の組織でした。
濡木先生主導で行う、純然たる緊縛を探求する緊美研の会合の様子をビデオに納め、販売をはじめたのです。
商業ベースでビデオを制作販売するアートビデオやシネマジックとは趣向を異にする第三セクター的存在です。
濡木痴夢男先生を尊敬する方々に支持され、好調に業績を伸ばして行きました。

昭和60年代の頃、浅田編集長と杉浦則夫氏が向き合う喫茶店に呼び出されました。
SMマニア・秘小説の縛りのすべてを僕にやらせたい、やってくれるか?と訊ねられたのです。
君にはその実力があるし、杉浦則夫カメラマンがフォローして行くと言う事でした。
晴天の霹靂とはこのことでしょうか?

最低でも月6本の仕事をお願いしていた縄師の濡木・有末両先生を切るという事、それが何を意味するのか…。
常日頃、濡木先生と杉浦カメラマンは、お互いを避けるように振る舞っていました。時には相手に対しての苛立ちを見せる事もしばしばありました。
互いに対する不満も、時折うかがってはいましたが、そこまで深刻な事態になっているとは知りませんでした。
苦い顔をし言葉少ない浅田編集長と、熱心に縄師への転向を薦める杉浦カメラマンの様子から、何があったのかおぼろげに推測はできました。

六年ほどのカラーグラビアの撮影の際、モデルの転倒を防ぐのと縛りのアシストのため、必ず僕はモデルの傍らに立っていました。
その縛りの工程をつぶさに観察し、緩んでいるところがあれば縄師に伝え、結び目を作る際は手を差し伸べて手伝いました。
吊りの際は、モデルの負担を少なくするために、縛る間からライトのセッテイングとカメラの露出値が決まるまで、モデルの支持台となりました。
そして局部の隠しと責めを担当し、シャッターが切られる最中はモデルを周囲から観察し、カメラマンの気がついていないアングルを見つけるとそれを知らせることに専念していました。
苦痛の多いSM撮影だからこそ、休憩時間はモデルをエンジョイさせ、この現場はとても楽しいと思わせるのが僕の役目でもありました。
(モデルのモチベーションを高める事が、結果として二穴バイブなどに通じました)

しかし縛りとなると、モノクロ撮影での簡単な縛りと、プライベートでの縛りしか経験したことはありません。
日々の撮影の中で、緊縛の審美性を見極める目は育っていましたが、縄師を目指してはいなかったので、縛りを極める心構えなどこれっぽっちも持ちあわせてはいませんでした。

色々な不安を抱えながらも、首を縦に振るしかありませんでした。
新人縄師誕生の瞬間でした。
SMマニア・SM秘小説は濡木痴夢男有末剛両先生と決別し、新たな道を歩み始めることになったのです。