昭和59年後半、高円寺にあった杉浦カメラマンのスタジオで撮影しました。
このモデル、初めての緊縛挑戦でした。
濡木先生の鮮やかで厳しい縛りで快調に撮影は展開していったのですが、いきなりモデルがキレました。
「もう、ヤダ!」と叫ぶや傍らのライトを蹴飛ばしたのです。
ライトは倒れ、高価なストロボ発光部が損傷、暴れはじめた彼女の縄を慌てて解きましたが、カメラマンも激怒。
二人の言い争いに発展しました。
濡木先生はニヤニヤしながら高みの見物。
とりあえず編集である僕が割って入り、別室というか風呂場に連れて行き、モデルをなだめました。
「ギャラは要りませんから、帰らせてください」と言います。
これには困りました。
濡木先生のギャラの保証もありますし、全額返納で済ますというわけにはいきません。
とりあえず8ページ中4ページ程度は撮れていましたが、それで終了というのも浅田編集長に向ける顔がありません。
そこで妥協案を提示しました。
もはや縛りは無理でしたので、絡みの撮影に急遽変更というアイデアです。
ただし本番という条件付きです。
彼女もこの交換条件をのみ、杉浦カメラマンも別誌で使う一日分のページ原稿を稼げます。
濡木先生は、半日で解放されますので大喜び。
で、絡み役は編集である僕がこなして気持ちいい思いをしたという顛末です。
さて、誰が一番得をしたのでしょうか?
やはり僕でしょうかね(笑)